ひとつひとつ心を込めておにぎりを握り続けて10年。「おにぎりカフェ 利さく」の店主・吉江重昭さんはなぜ、“おにぎり”の“カフェ”という道を選んだのでしょうか。どんなものも包み込み、何を合わせてもいい。そんなおにぎりのふところの深さには、カフェと通ずるところがありました。
パン職人志望から、おにぎり職人へ。「おにぎりカフェ」誕生の道のり
今なお下町風情が色濃く残る、谷中・根津・千駄木エリア。通称“谷根千(やねせん)”と呼ばれるこの街には、古民家で営むカフェや喫茶店も多く、国内外から下町散歩やカフェ巡りを楽しみに来る人が多く見られます。そんな千駄木の駅前に、10年以上も前からちょっと個性的なカフェがあるのをご存知でしょうか。インバウンド需要はおろか、谷根千、和食、レトロブームすら始まる前からここで店を構えるのが、「おにぎりカフェ 利さく」です。
作務衣に身を包んで出迎えてくれたのは、店主の吉江重昭さん。2010年にオープンした「利さく」は、羽釜で炊いたごはんのおにぎりと手作り惣菜が自慢のカフェです。
「実は社会人になったころは、パン職人になりたかったんです」。吉江さんの意外なひとことから始まった、今回のインタビュー。聞けば、もともとはパンが作りたくて大手製パンメーカーに入社したのだとか。しかし、配属されたのはレストラン部門。接客やマネジメントなどのサービス業務を担当することになりました。
そんな吉江さんが当時、個人的に通っていたのが、駒沢大学の老舗カフェ「バワリー・キッチン」。深夜まで食事もコーヒーも自由に楽しめて、年齢、職を問わず、さまざまな人が好き好きに自分の時間を過ごしに来る姿に、次第に心を奪われていったそう。いつしかサービスマンとして「自分もこういう場所をつくりたい」という気持ちが芽生え、入社から10年ほど経ったころに退職、調理を学ぶために働く飲食店を探し始めました。
パンからスタートしていますから、そのときに思い描いていたのはパスタや洋食を提供するカフェ。「ひたすらじゃがいもの皮を剥くような仕事がしたいんです!」といって訪ね歩き、縁あって入社したのが、フレンチ、中華、和食も手がける九州食材をメインにしたレストランです。それぞれを専門とする3人のシェフから調理技術を学び、少しずつ身に付けていく最中、気づけば30歳を過ぎていた吉江さんの嗜好には変化が。
「やっぱりお米ってうまいなとしみじみ思うようになって、和食に気持ちが向いていきました。でも日本料理店を開くには、より長い年月の修業が必要だし、せっかく学んできたフレンチや中華を手放すのもなと思ったときに、ふとひらめいたんです。……おにぎりがあるじゃないか!」
クリームシチューにごはん、トマト煮込みにもごはん、さらにはグラタンにごはんを合わせてドリアを発明したように、日本人は常に、世界各国の料理を家庭に取り込んできました。日本料理店ではなく“おにぎり店”と謳えば、美味しいお米と一緒に、和、洋、中、エスニック、どんな料理でも提供できる。それぞれのエッセンスを織り交ぜたオリジナル料理、おにぎり自体のアレンジだって自由自在——。
美味しいものをリーズナブルに楽しめて気ままに過ごせる空間と、自分が作りたいものを最大限に作れるかたちが結びついた瞬間、「おにぎりカフェ」は生まれたのです。
“おにぎりカフェ”だから、可能性は無限大。アイデアを練るのが楽しい
「作ることが楽しくてしょうがないんですよ」。吉江さんの生き生きとした表情からは、おにぎり作りや料理を心から楽しんでいることが伝わります。主役のお米は、貴重な縁で直接仕入れているという群馬県板倉町産のコシヒカリを開店当時から愛用。さらに、味噌汁やおにぎりの具材に合わせて数種類をブレンドする味噌をはじめ、吟味を重ねて全国から取り寄せた食材を使い、作れるものはできるだけ手作りしているそう。
「最初はそんなに手間をかけるつもりはなかったんですけど、味噌もポン酢も、自分で作ってみると美味しくて。『こうしたら美味しいんじゃないかな』って考えるのがとにかく楽しい。ランチの小鉢ひとつをとっても、自分が同じものを作りたくないという一心で当初は毎日変えていました」
“おにぎり”の“カフェ”だから、タブーもルールもありません。フレンチの技法を使って和惣菜を作ったり、和食材を使って中華料理を作ったり。一方でもちろん、昔ながらのシンプルなおにぎりや、だしを効かせた味噌汁も自慢です。日本の伝統・郷土料理、吉江さんが惹かれた味、スタッフから得たトレンド情報などさまざまなものをヒントに、自分なりに解釈・ブラッシュアップしておにぎりや惣菜にしていきます。
たとえば「煎茶」と「ほうじ茶」のおにぎりは、京都で230年続く老舗茶舗「孫右ヱ門(まごうえもん)」の茶葉を使ったもの。茶葉を佃煮にした市販品はありますが、それだとせっかくのお茶の風味が消えてしまうからと、粉末にしたものをオーダーを受けてから混ぜ込んで握ります。「いい煎茶は米の甘みを引き立てます。とても繊細で儚い味わいですが、心地よい香りの余韻が感じられるんです。逆にほうじ茶は、最初に力強い香りがやってきて、あとはすっと引いていく。同じお茶なのに奥深いですよね」。
なすの煮浸しを中華風にしてみたり、麻婆豆腐を柚子胡椒で和風にしてみたり、切り干し大根をジェノベーゼにしてみたり、小鉢や一品料理にもさまざまなアイデアが。洋食店の付け合せで出るマヨネーズたっぷりのジャンキーなポテトサラダが大好きだという吉江さんの手にかかれば、おからがポテトサラダ風に大変身!
アイデアは尽きるどころかどんどん増えていくと、吉江さんは笑って見せます。「料理自慢のママさんや、料理家さんの感覚に近いかもしれません。和食店でも中華料理店でも洋食店でもない、“おにぎりカフェ”だからこそ、培ってきたいろんなエッセンスを盛り込んで、自由に表現できるんです」。
おにぎりは自己表現のひとつ。これが“利さくの”おにぎり
それでも10年、けっしてブレることなくおにぎりという軸を貫いてきました。コンビニでは100円でおにぎりが買える時代ですから、店を始めた当初は「鮭おにぎりが200円なんて高い!」という声も少なくなかったのだとか。確かに日本人にとっておにぎりはソウルフードであり、とても身近な存在です。しかし、「利さく」のおにぎりはけっして手抜き料理でも作り置き料理でもありません。
「ご注文をいただいてからひとつずつ心を込めて握っていますし、ほとんどの具材は、事前に下味を付けたり調理をしたり丁寧に仕込みをしています」。そう語る吉江さんにとっておにぎりは、自己表現のひとつ。
たくさんのおにぎり専門店があり、チェーン店も増えていますが、握り方ひとつをとってもその店それぞれで違います。大きさ、形、具材の種類や味付け、ごはんとのバランス……。どれが正解でも間違いでもなく、それが“その店の”おにぎり。
「ましてやうちは、コンビニでも作り置きを並べているお弁当屋でもありません。具材も付け合せも提供スタイルも、『あ、こういうのもおにぎりっていうんだ』でいいと思うんです。僕は自信を持っていいます。『はい、これが“僕が考える”おにぎりです』って。いい状態で炊けたお米でおにぎりを握るときと、『これだ!』という惣菜のアイデアが降りてきた瞬間が、最高に楽しいんですよ。握りたての美味しさは格別ですから、朝でも昼でも夜でも、この空間で自分なりに過ごしてもらいながら、美味しく味わってもらえれば嬉しいですね」
「こうでなければいけない」という答えがないのが、おにぎりであり、カフェ。そのふところの深さといったらありません。和な設えに見えますが、ふと耳を澄ませば、吉江さんセレクトのちょっと個性的なBGMが聞こえてくるかも。どのように過ごすかは皆さんの自由です。吉江さんが心を込めて握ってくれる“利さくの”おにぎり。皆さんは、誰とどんなふうに味わいますか?
◾️おにぎりカフェ 利さく
住所:東京都文京区千駄木2-31-6
TEL:03-5834-7292
営業時間:9:00〜20:00
定休日:水曜
HP:https://www.risaku-tokyo.com
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取材・写真・文 RIN