東京・築地で38年続く喫茶店「レンガ」。店主の長谷川宏樹さんが毎日店に立ち続ける原動力はたったひとつ、“お客様の笑顔”です。ひとりの笑顔が別の誰かの笑顔を呼び、またつながっていく。「レンガ」には、そうして自然と人が巡っていく、店主とお客様との理想ともいうべき姿がありました。

 

お客様に笑顔で帰ってほしい。30年間、願うはただそれだけ

市場の移転や大規模な都市開発に伴い、大きく変わりゆく街・築地。時代の流れとともに人も街も変化を余儀なくされる中で、喫茶店「レンガ」は38年間変わらずこの地でお客様を迎えています。レンガ造りのビルにあるから「レンガ」。昭和らしさを色濃く残すそんなネーミングも、今ではすっかり店の味のひとつ。入り口の扉を開けた瞬間に聞こえてくるハツラツとした「こんにちは!」の挨拶が、この店のトレードマークです。

声の主は、2代目店主の長谷川宏樹(はせがわ ひろき)さん。「レンガ」は長谷川さんが中学1年生のときに母親が始めた喫茶店です。「まさか継ぐなんて考えてもみなかったんですけど(笑)」。

包丁の使い方すら知らなかった宏樹青年が、“2代目見習い”として店の仕事をするようになったのは大学卒業後のこと。在学中に大きな事故にあい、就職活動もままならなかった最中に叔母が母に言った「宏樹に店をやらせてみたら?」というひとことが、今日、長谷川さんがここに立ち続けるに至ったきっかけでした。

「コーヒーの淹れ方の勉強を始めたら、これがおもしろくてね。どんどんのめり込んじゃって。当時のキーコーヒーの営業さんも熱意を認めてくださって、特別にこっそりいろいろ教えてくれたものです」。

まだ青二才の自分が淹れたコーヒーを、「美味しい」と言って嬉しそうに飲むお客様の姿や、カップが空になって返ってくることがとにかく嬉しかったと振り返る長谷川さん。「生きて仕事ができること、毎日元気にお客様を迎えられることは、本当にありがたいことです。50年続いてやっと“老舗”と呼ばれる喫茶店の世界でうちはまだまだですが、『レンガ』に来てくださったお客様が笑顔で帰ってくだされば、僕はそれだけで幸せです」。

たったひとつのその願いが、長谷川さんが毎日笑顔を絶やさず店に立ち続けるすべての原動力。とても単純なことに見えて、30年もの間、常に心に留め続けることはけっして誰しもができることではありません。

コーヒーは今でも昔ながらのサイフォン式で淹れています。真っ赤なベルベット生地のソファが印象的

「手伝い始めたころは本当に何もできなくて、たくさんお客様にお叱りも受けました。でも、必ずまた仕事仲間やご友人を連れて来てくれるんですよ」。だからこそ少しでも自分にできることを精一杯やって喜んで帰ってもらおうと、一歩ずつ前に進んできたという長谷川さん。お客様に育てられ支えられて、今の自分と店があると繰り返します。そうして「レンガ」は、小さなレンガをひとつずつ積み上げて強くあたたかい家ができるように、一段一段、経験と試行錯誤を積み重ねながら築地の街に根付いてきたのです。

 

洋食店をも凌ぐ美味。名物「たまごサンド」と「特製ナポリタン」

今やこの店を語る上で欠かせない名物メニューとなった「たまごサンド」と「特製ナポリタン」は、そんな長谷川さんのお客様への愛の結晶といえるでしょう。先代のころはごく一般的なたまごサラダのサンドイッチだったものを、焼き立てのオムレツを挟んだホットサンドにアレンジ。「僕が店に入ったときはすでに“たまごサラダサンド”はコンビニで買える時代。わざわざ来てくださっているのだから、うちでしか食べられないものを出したいと思って」。

サンドイッチはたまごと、ハム、ツナ、ソーセージのいずれかがセットに。ドリンクとサラダ付き。900円(税込)

使うのは、毎朝届く「サンワローラン」の焼き立てのイギリスパンです。スライスして内側にマヨネーズを塗ったら、2枚を重ねてトースターへ。パンを焼くことにしたのも軽やかな食感が美味しいこのパンだからこそ。38年間を共にする「レンガ」の相棒的存在だと言います。

よく溶いたたまごを、フライパンと箸を手早く動かしてとろりと焼き上げ、パンの上に。はっきりと聞こえるほど、サクッと香ばしい音を立てたかと思うと、中からはマヨネーズが馴染んだしっとりとしたパンとふわとろのオムレツが顔を出し、その美味しさに誰もが頬をゆるめます。

「ランチタイムを逃しても食べられるように」と、終日セット価格で提供。「特製ナポリタン(ドリンク・サラダ付き)」1,000円(税込)

一方「特製ナポリタン」は築地の老舗精肉店「日山」のひき肉入り。沖縄の塩を贅沢に加えて茹でたパスタと、「ナガノトマト」のケチャップを使うのがレンガ流です。麺がつやつやと輝き、肉の旨味、まろやかな塩味、トマトの甘味によって、ケチャップだけとは思えないほど深みのある美味しさに。いつしかこれらを目当てに多くのお客様が訪れるほどの「レンガ」の顔ともいえる存在になりました。

開店時のメニュー。当時はパスタメニューはなく、サンドイッチもすべて単品でした

まるで洋食店かと思うほど料理に手をかけるのも、すべては食べに来てくださるお客様に「もっと喜んでほしい」という一心から。「厨房からお客様の顔が見えるでしょう? そしたら『よりいいものを、もっともっと……』と思うんですよ。芸者をやっていた叔母によく言われたものです。『お客様には“真心”で接しなさい』って」。

 

真心が生む“笑顔の連鎖”。自然とお客様が巡り続ける店

いい食材がそろい、地域のコミュニティがあって、働く人も観光客もいる。築地は、喫茶店をするにはちょうどいい街だと長谷川さんは言います。それでも、約40年間ずっとタッグを組んでくれる「キーコーヒー」や「サンワローラン」、材料や資材を届けてくれる配達員さん、共に店に立ってくれるスタッフ……。多くの人の力に支えられて、毎日「レンガ」でお客様を迎えられていることを、ひと時も忘れたことはありません。

多くの老舗喫茶店と並んで、キーコーヒーが認定する「トアルコトラジャ マイスター店」に。

市場の移転、オリンピックの延期、完全禁煙化やコロナウイルスなど、ここ数年の間で店にも大きな変化がいくつもありました。さまざまな理由で離れてしまった常連客もいます。しかし「レンガ」には、不思議とまた新しい客がやって来るのです。

「娘世代のお客様が『たまごサンドが美味しいんだよ!』『ナポリタンがおすすめ!』と、ご友人を連れて来て通ってくれてね。星の数ほどある飲食店の中から小さなレンガの扉を開けてくださる、そんなお客様がいるからこそ、僕は毎日、笑顔で一日を終えることができる。お客様にエネルギーをもらってばかりです。嫌な思いすることはほとんどないんですよ。“レンガのお客様は世界一”です」。

1人のお客様の笑顔が長谷川さんを笑顔にし、それがまたここを訪れた多くの人の笑顔を生んで、他の誰かへつながっていく。そんな“笑顔の連鎖”が「レンガ」にはあります。たとえ時代が変わろうとも“笑顔の連鎖”がある限り、「レンガ」が“老舗”と呼ばれる日は自然とやって来るでしょう。長谷川さんは「うちのお客様は世界一」だと言いますが、きっとその言葉を聞いたレンガのお客様は返すはずです。「わたしこそ、レンガの客で幸せ」だと。

最後に「それぞれの方が『私のレンガ』『僕のレンガ』と、自分の居場所のように愛してくだされば本望です」と語ってくれた長谷川さん。築地の路地裏の小さな喫茶店には、今日も笑顔でお客様を迎える店主の声が響いています。

長谷川さんは大のプロレス好き。店にはアントニオ猪木選手、大谷晋二郎選手、田中将斗選手のサイン色紙が

 

◾️ レンガ
住所:東京都中央区築地2-15-15 1F
営業時間:11:00〜16:00(短縮営業中) ※通常時は10:00〜18:00
定休日:第1・3土曜、日曜、祝日
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取材・写真・文 RIN

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