「WOODWORK Welcome coffee」のバリスタ・滑川京子さんは一女の母。結婚・出産を機に一度は現場を離れながらも、ふたたびコーヒーの道に戻ってきた彼女の言葉には、今を生きる女性バリスタたちに届けたいメッセージで溢れていました。
“コーヒーデビュー”は、すがるようにして手にした一本の缶
令和時代が幕を開けてから早くも4年目を迎えた2022年。この数年でひとびとの価値観は大きく変わり、働き方から暮らしの中まで、広く多様化や協同が求められるようになりました。その波は、カフェやコーヒーの世界にも少しずつ訪れています。
東京・御徒町にある、家具ブランド「WOODWORK」に併設するカフェ「WOODWORK Welcome coffee」でバリスタとして店に立つ滑川京子さんは、4歳の娘を持つ母。
保育園に子どもを預けながら同店で勤務するほか、日本スペシャルティコーヒー協会のセミナー講師を務めたりハンドドリップの大会に出場したりと、フリーランスのバリスタとしても幅広く活動しています。
滑川さんがコーヒーの世界に足を踏み入れたのは、27歳のころでした。以前は、お年寄りと接する仕事がしたいと大学病院の事務に就いていたといいますが、実際には一日中窓のない部屋にこもってPCとにらめっこする日々だったそう。
「毎日残業続きで、眠気覚ましにとすがるような思いで手にしたのが自販機の缶コーヒーでした。といっても、それまでコーヒーを飲んだことがなかったのでブラックなんて飲めるわけもなく、わたしのコーヒーデビューは甘いミルクコーヒーです（笑）」
今でこそ冗談を交えながら笑ってみせる彼女も、当時はいわば満身創痍。コーヒーとの出会いは、必要に駆られてという、やや苦いものだったと振り返ります。徐々にインスタントコーヒー、ドリップバッグへとシフトし、気がつけば自宅近くにあった「常盤珈琲焙煎所」で好みの豆を選んで焙煎してもらうまでに。
待っているだけでは変わらない。屈託ない笑顔の後ろにあるのは溢れんばかりのバイタリティ
そんな彼女が、やはり人と触れる仕事がしたいと新たな居場所に選んだのが飲食業界です。通っていた常磐珈琲焙煎所で新店のオープニングスタッフを募集していたことも重なり、コーヒーの世界へ飛び込んだ滑川さん。
「いざ始めてはみたものの、エスプレッソやハンドドリップ、もしくは焙煎など、一言でコーヒーとでいってもジャンルや仕事内容がたくさんあることを知りました。もともと形だけというのが嫌いなタイプなので、自分に何が向いているのかを知るためにもまずはいろいろやってみようと、アルバイトを4つ掛け持ちしていましたね（笑）」
常盤珈琲焙煎所でさまざまな豆の特徴や焙煎を学びながら、「Espresso Americano」（錦糸町）ではイタリアンエスプレッソの技術を習得、「LE CAFE DOUTOR」（銀座）では絶え間なく訪れるお客さまにいかに早く丁寧なサービスを提供するかの実践を続け、「Mixology Bar Source」（麻布十番）のアシスタントとしてコーヒーカクテルにもチャレンジ……。
溢れんばかりのバイタリティで少しずつコーヒーを自分のものにし、いよいよ進みたい道が見え始めたころ、同じくバリスタである夫と出会い結婚。ほどなくして妊娠したことで、すべての仕事を一度離れざるを得なかったといいます。
「まさにこれからというタイミングで辞めてしまったのですぐにでも仕事復帰したかったのですが、母や夫には、子どもが大きくなるまで待ってあげればといわれていました。もちろん娘は大好きですし、大切な存在です。でも、ずっと家にこもって子育てだけをしていることがわたしにはどうしても辛くて。
その後、体調を崩してしまったことも追い打ちになって、毎日気持ちはどん底だし娘には当たってしまうしで、このままでは自分も娘も家族も幸せにならない、なんとかしたいという気持ちでいっぱいでした」
待っているだけでは変わらない――。そう自身を奮い立たせた彼女が取った行動が、「ジャパン・ハンドドリップ・チャンピオンシップ」へのエントリー。道半ばで途絶えてしまったコーヒーへの再チャレンジを目標におくことで、前向きになれたと話します。
当時のことを「きっと未練が大きかっただけ」と、本人はあっけらかんと笑い飛ばしますが、ただでさえ辛いときに逆境に立ち向かうエネルギーがどれほど大きなものか計り知れません。ましてや、子育てや家事をしながらです。それでも結婚も出産も自分で決めたことだから甘えるわけにはいかないと自身を戒め、決勝に残れなかったらコーヒー業界から身を引く覚悟だったことも明かしてくれました。
ベビーカーを押して散歩をしながらプレゼンの練習をし、子どもを寝かしつけた後、夜中の2時、3時までドリップの特訓をする日々。とにかく大変だったといいながらも「自分の好きなことができることが楽しくて仕方なかった」と話す表情はとても嬉しそう。
結果は見事、準優勝。家族ともう一度話し合い、理解と協力を得て、翌年「WOODWORK Welcome coffee」で本格的に仕事復帰を果たしたのです。
思いやりと、それに応える責任感が生む、win-winの信頼関係
当初は、慣れない保育園通いに発熱を繰り返す娘の看病のために、急遽店を休むこともしばしばだったそう。そんなとき、同僚の深い理解に本当に救われたと彼女は何度も感謝の言葉を口にします。
「店を休むことはすごく心苦しかったのですが、同僚たちが『自分の体も労って』とわたしのことまで気遣ってくれて、その一言がどれほど嬉しかったことか。一般的な会社であればクビになってもおかしくありませんし、正直わたしが逆の立場だったら同じことができるかどうか（笑）。この職場に巡り会えたことは、本当に恵まれていると思います」
それでも「子どもがいるんだから多めにみてと、驕るつもりはこれっぽっちもない」と、やはり責任感が強い彼女らしい言葉も。自らこの仕事を選んだからには優しさに甘んずることなく、仕事で恩返しができるようにと日々、努力を続けています。
今、滑川さんはここでコーヒーを淹れるだけでなくWOODWORKブランドの一員として、「日常的に家具に触れたり工房を訪れたりできる場をつくりたい」という想いを売り場のスタッフや職人たちと共にしながら、“家具店への入り口”であるカフェの役割に懸命に取り組んでいます。
カフェに訪れるお客さまに対して家具の企画展や地下工房を案内したり、さまざまなフェアに合わせたメニューを考案したり……。何事にも貪欲に向き合うそんな彼女の姿勢に、ショップ全体を仕切る店長の齊藤梓さんも「彼女はメニュー作りにしても売り場への架け橋役にしても、いつもこちらの期待を上回るもの返してくれる。だからわたしたちも、少しでもサポートしたい」と話してくれました。
「一緒に働く仲間の声に応える」。とてもシンプルな言葉ですが、そうして店とバリスタがお互いに思いやりと責任感を持っているからこそ、強い信頼関係が生まれ、結果的にwin-winの関係が築かれているのでしょう。
諦めないで一歩を踏み出せば、変わる世界がある
滑川さんは「環境に恵まれただけ」と話しますが、それも自分で動き出したからこそ掴み取ったもの。高い技術やモチベーションを持ちながら夢を諦めようとしている女性バリスタたちに、最後に彼女からはこんなエールが。
「最近わたしが楽しそうに働く姿を見て、娘が『コーヒーを淹れたい』といってくれるんです。それが嬉しくて。子どもと接する時間の長さ＝愛情の量ではないと思っています。世間的な“よい母・よい妻”でいるために、自分の気持ちを無理やり押し殺して暗い顔をしていても、きっと誰も幸せになれません。自分の夢を大切に一歩を踏み出すことで、変えられる世界があるということを少しでも伝えられれば」
滑川さんの一歩が誰かの背中を押し、それがつながっていけば仲間が増え、次第に社会をも動かす大きなムーブメントになるはず。
2022年は、カフェやコーヒーを愛するひとびとにとってどんな年になるのでしょうか。より自由な生き方が選択できる時代になること、そして滑川さんや次世代を担う多くの女性バリスタたちにとって、さらなる飛躍の1年になりますように。
◆WOODWORK Welcome coffee
住所：東京都台東区台東4-14-8
TEL：03-3833-2797
営業時間：11:00〜17:00
定休日：火・水・金曜
HP：https://woodwork.co.jp
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取材・写真・文 RIN
