幼い頃から独学でお菓子作りを続けてきた大谷佳子さんが営む、焼き菓子カフェ「おやつ研究所」。何かに惑わされることなく、常に自分が好きなものにまっすぐ真剣に生きてきたからこそ、ここには彼女にしか作れないおやつとカフェの姿があります。大谷さんの言葉には、カフェが好きな人にも、カフェを営む人にも伝えたいメッセージであふれていました。

 

幼い頃に焼いたシンプルなバターケーキが、“おやつ研究”の原点

わずか数年の間に、関東屈指の巨大ベッドタウンと化した武蔵小杉駅周辺。タワーマンションが立ち並ぶ、生活の拠点ともいえるこの街に、一風変わった“研究所”ができたのは2016年のこと。その名も「おやつ研究所」。一度聞けば自然と耳に残る、遊び心ある研究所の正体は、大谷佳子(おおたに よしこ)さんがひとりで営む小さな焼き菓子カフェです。

「研究員はわたしひとりです(笑)」。人懐っこい笑顔と、関西弁のなまりが残る独特のイントネーションでそう笑って見せる佳子さんは、奈良県の出身。実家は明日香村で日本料理店を営んでいます。幼い頃、毎日店に出る両親の代わりに佳子さんの面倒を見てくれていたのは祖母でした。「“ハイカラなもん”が好きな人で、ドーナツとかグラタンとか、よく食べに連れて行ってもらいました」。

そんな祖母の「オーブン買うたげる」の突然の一言から、大谷家にオーブンがやって来たのは、彼女がまだ小学校低学年の頃。それまでお菓子作りなどしたことがなかった佳子さんですが、おぼつかない手つきながらもレシピ本を手に、小麦粉、砂糖、卵、バターだけで作る、シンプルなバターケーキを焼いたといいます。

「焼いているときの甘い香り、できたてのお菓子の美味しさ、おばあちゃんが喜ぶ顔……。どれもが幸せでたまらなくて、一瞬にしてお菓子作りにハマってしまったんです」。思えばこれが、彼女の記念すべき“初研究”でした。

自分の足で洋菓子店やカフェを巡っては、美味しいと思ったものを再現したり、単発の教室に行ったりして、独学でお菓子作りを続けてきたという佳子さん。縁あってフランスの職業訓練学校に1ヶ月間通った際には、本場の一流パティシエの技術やきらびやかなガトーに触れたことも。

「でも、街のパン屋さんに入ると焼きっぱなしのタルトや素朴なサブレがあって、食べてみたら『やっぱりわたしはこっちのほうが好きや』って思ったんです。子どもの頃からなじみのある、どこか懐かしい“おやつ”が自分には合ってるなって。わたしね、火が入ったバターの香りが大好きなんですよ」。

独立を決意して上京してきたとき、「自分で試行錯誤して作ってきたものを活かしたお店にしたい」と、店名は「おやつ研究所」に決めました。「自分が、カタカナのお店の名前を覚えるのが苦手という理由もあるんですけど(笑)」。時折、照れ隠しのように冗談を交えながら微笑む彼女は、こうして、自らつくった小さな研究所の所長になったのです。

 

誰かの真似じゃなくていい。自分の味を「好き」と言ってくれる人のために

きび糖を使ったやさしい甘さのスコーンも人気。サックリと焼けた内側は、ハラリとほどけるような口どけ

店頭に並ぶのは、果物を焼き込んだタルト、バターケーキ、スコーン、クレームブリュレと、数種類のサブレ。バリエーションを含めれば全部で30種類ほどありますが、お菓子のカテゴリーでいえばけっして多くはありません。「自分が好きで始めた自分のお店だから、自分が好きなお菓子だけを作っています」。

「好きだから」。それは、幼い頃から自力でお菓子作りを続けてきた佳子さんにとって、どんなときでも変わらない、一番のエネルギー源。ショーケースに並ぶ素朴なおやつたちはすべて、いわば彼女の長年の「好き」が洗練され尽くした研究成果といえるでしょう。

タルトは定番の「ブルーベリー」「木苺」「杏」「洋梨」「胡桃キャラメル」の他に、季節のものが数種類

タルトに使う素材ひとつをとっても、酸味や苦味、渋味、塩味など、少しクセのある要素を必ず加え、甘味一辺倒にならないよう仕上げるのが佳子さんの“好み”。特に、味にメリハリを生み、印象を大きく左右する塩味は、スコーンやタルトなどお菓子によって数種類を使い分けたりブレンドしたりしているそう。

「どのおやつにも自分の中で“美味しい色”があるんです。ちゃんと粉に火が通って、発酵バターの香りが一番引き立った状態になる“わたしのおやつの色”。常にそれを見極めて焼いています。東京には本当にたくさんの人がいて、たくさんのお店があります。だからこそ、誰かの真似ではなくて、自分の好きな味でいいと思うんです。それを同じように好きと言ってくれる人のために、一生懸命作れたらいいなって」。

 

甘いものを巡るたくさんの幸せが詰まった、小さな1ピース

3種類のお菓子が楽しめる「おやつプレート」1,680円(税込)〜。内容は日替わり

ひとつひとつのおやつが2、3口で食べられるほどの小さなサイズなのも、彼女自身がカフェを訪れたとき、「いろいろな種類をちょっとずつ食べたい派」だからだと教えてくれました。また、子育てや家事の合間にサッとつまんで、少しでも元気になってほしい。家族団らんで過ごす、食後の穏やかな時間のお供になるようになど、おやつを取り巻くさまざまな幸せなシーンを思い浮かべて行き着いたのが、このかたち。

結果的に、他の店にはないおやつ研究所らしさのひとつに。今やカフェを利用する多くのお客様が、小さなケーキを2、3種類楽しんでいくのがお決まりです。

「カフェでは、お客様に積極的に声をかけるようにしています。甘いものと同じように、ほんの少しの何気ない言葉で、元気が出たりほっとしたりできると思うから。それに、わたし自身もお客様と話をするのが好きなんです。カフェは効率が悪いと言われたこともあるけど、やっていて良かったと心から思います」。

 

思い浮かべるお客様は、いつも笑顔。だからお菓子作りが楽しい

ここは、佳子さんの好きなものだけをギュッと詰め込んだ、小さな研究所。だから彼女は、「毎日が楽しい」と断言します。カフェもテイクアウトも地方発送も、すべてをひとりで行っているため、体力的にきついことも、考えが息詰まることもあるはず。それでも、自分のペースでできることは、美味しいお菓子が作れる秘訣だそう。

「自分が楽しくないと、美味しいものはできません。仕込みをしながらお菓子を食べてくれるお客様の顔を想像すると、みんな笑ってるんです。だからどんなに疲れていても、お菓子作りが楽しい。お客様に元気をもらって頑張れています」。

テイクアウトで訪れるお客様もたくさん。不定期で地方配送も(随時公式Instagramで告知)

おやつ研究所で作られているのは、ただ味覚として美味しいだけのものではなく、作り手と食べ手の心が通う、お互いの元気の架け橋となるおやつ。あいにく、おやつ研究所の定員は佳子さんひとりですが、お菓子作りをする彼女の頭の中ではいつも、たくさんのお客様が笑っています。そしてそのお菓子が“美味しい色”に焼き上がって誰かの手に渡ったとき、それは確かな現実となるのです。

 

◆おやつ研究所
住所:神奈川県川崎市中原区今井西町15-23
TEL:044-387-7803
営業時間:10:00〜16:30(売り切れ次第終了)
定休日:月、火、水、金 ※緊急事態宣言に伴い不定期営業中
Instagram: https://www.instagram.com/tarte_gateau/
CafeSnap みんなの投稿>>cafesnap.me/c/9685

取材・写真・文 RIN

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