季節の野菜や果物と、ハーブ・スパイスを使った料理が楽しめる西荻窪の「yuè」。オーナーの越川さん夫妻にとって、ハーブやスパイスはカフェと似た距離感にあるものだといいます。1周年を迎え、少しずつ“自分たちらしさ”が見え始めたというふたりが描く、これからのyuèの姿とは。
大きな一歩を、ふわりと踏み出して始まった「yuè」
西荻窪駅からまっすぐ北へ歩くこと10分と少し。賑わいを抜け、人々の暮らしの音色が聞こえ始めた街のはずれに、越川祐貴さん・沙代さん夫妻が、旬の野菜とハーブ・スパイスの店「yuè(ユエ)」をオープンしたのは、2020年12月のこと。
カフェ「cotito」のとなり――、そう聞けば「もしかして」と思い当たる方も多いかもしれません。そう、ここは同年の初夏まで、料理家くしまけんじさんが営む「食堂くしま」だった場所です。
沙代さんがcotitoに務めていた縁からこの場所を引き継ぐことになり、ふたりが長く抱いていた「カフェを開きたい」という夢の歯車は静かに回りはじめました。
軒先の看板が「yuè」に変わって1年。小さな扉の先には今も、かつての面影を残したあたたかくクラシカルな喫茶室が広がります。趣のあるスツールやテーブルはそのままに、好きな作家の器を買いそろえたりテイクアウト用の棚を備えたり。さらに今、店を包み込むのはほのかなスパイスの香りです。
夫の裕貴さんは、押上にあるスパイス料理の名店「spice cafe」の出身。それまで務めていたアパレル会社を30歳で脱サラし、「今から夢を実現するには、自分がいちばんおいしいと思う料理を作る人に学ぶのが近道」と、武者修行に飛びこんだそう。
物件の引き継ぎの話が舞い込んできたのは、彼が人気洋食店に身を移し、来たるべき日に向けてさらなる勉強を続けていた最中でした。
「当時はまだ、料理もスイーツも空間も、自分たちが具体的に何を届けたいのかをイメージしたことはありませんでした。それでも、二度と出会えないであろう貴重なご縁を大切にしたくて、真っ先に『店を始める』ことを決めた感じです(笑)」
まずはふたりができること、やりたいことをひとつずつ紡いで「yuè」の輪郭を描くことからスタート。きちんとおいしいごはんが食べられる店にしたい、せっかくなら家庭ではあまり作れないものでおもてなししたい、でも肩肘張らずにのんびり過ごしてほしい――。ぼんやりと浮かんだ情景は、“身近にあるのにちょっとだけ特別感があって、小さなしあわせが届けられる場所”。
「ハーブやスパイスは、それそのものがすごく好きというよりも、イメージした店の象徴みたいなものです。手を伸ばせば届くのにどこか少し非日常的で、でもいろいろな恵みをくれる存在。『とりあえず、新鮮な旬の野菜とハーブ・スパイスを使っていろいろやってみようかな』くらいの、ふわっとしたテーマで進み出しました」
「お野菜プレート」をきっかけに、お客様が気づかせてくれた“yuèらしさ”
こうして、ゆるやかに一歩を踏み出したyuè。ふたりが譲れなかった“おいしい食事”は、小さなまんまるのコロッケをメインに旬の野菜を添えた「お野菜プレート」と、オリジナルのスパイスカレーとなってオープン当初からお目見えしています。
「なんでコロッケをメインにしたんだっけ?」と問いかける祐貴さんに、「お互いコロッケは好きだし、やっぱり揚げものは作るのが面倒だから、おいしいコロッケがお店で食べられると嬉しいよねっていってたよ」と、にこやかに答える沙代さん。
ふたりが生み出すやわらかな空気も、yuèに常にゆったりとした時間が流れている理由のひとつ。心地よくお客さまを迎えられるよう、自分たちも無理をしすぎずほどよい力加減でいることを心がけているといいます。
yuèの料理やスイーツは、そのときにいちばんおいしい野菜と果物が主役です。「お野菜プレート」に添えられるおかずは、紫にんじんとフェンネル、れんこんとマスタードシード、コールラビとタイムなど、そのほとんどが単一の野菜とハーブ・スパイスの掛け合わせ。素材そのものの持ち味を大切に、“探せばなんとなく感じる程度”のやさしい香りに仕上げます。
「シンプルに見える中に、小さな発見やひとひねりの工夫を見つけられると楽しいかなって。のんびりくつろいでもらうためにも、それぞれがどんな味なのかじっくり味わえるくらいの調理がちょうどいいと思っています」と祐貴さん。
店を始めてみると、「このお野菜食べてみたかったの」「コリアンダーってこうやって使うといいのね」といった声を多くかけられることに驚いたのだそう。
自分たちが作るものがお客さまにとって、新しい野菜やスパイスに触れるきっかけになっていることを肌で感じ、よりいろいろな素材の魅力を伝えられればと、最近は積極的に新しい野菜を取り入れています。
「農家さんが丹精込めて育てた野菜やハーブ・スパイスと、お客様をつなぐ架け橋のような役割が、“自分たちらしさ”のひとつであることをお客様に教えていただきました。ふんわりとしたスタートでしたがオープンから1周年を迎えて、お客様のおかげで少しずつ、yuèという店ができあがってきたと感じています」(祐貴さん)
なにかに縛られることなく、力を抜いてくつろげる場所でありたい
沙代さん特製の季節のタルトを楽しみに訪れる人もいれば、今年の春から始めたスコーンにもすでにたくさんの根強いファンが。こうした食事やお菓子がすべて、時間やオーダーの制限なく楽しめることも、ふたりが大切にしているyuèの一面です。その理由を、沙代さんはこんなふうに話します。
「ずっとカフェを開くことが夢だったのですが、お店を始めるにあたり、自分たちにとってカフェってどんな存在だろうとあらためて考えたとき、“なにかに縛られることなく、おいしいものと一緒にくつろげる場所”という答えにたどり着きました。自分たちもそういう存在でありたいと思っています」
食事だけでもいいし、スイーツやドリンクだけでもいい。自分へのご褒美の日があれば仕事の合間にカレーをテイクアウトする日があってもいい――。yuèが今、カフェというスタイルをとりながらも、あえて「ハーブとスパイスの店」と謳うのは、“カフェ”という言葉尻だけで使い方や訪れる人を制限してしまわないように。
どんな人でも、ふっと肩の力を抜いて、おいしい料理やおやつと一緒に心地よくくつろげる場所。ふたりが描くのは、そんなyuèの姿です。
少しずつ自分たちが進む道が見え始め、今はその道に向かって新しく始めたいことが盛りだくさんだと話す祐貴さんと沙代さん。できることは無限ではないけれど、ここで得られる心地いい時間を楽しみに来てくださるお客さまと共に、より使いやすくくつろげる場所に育てていきたいと話してくれました。
旬の野菜とハーブとスパイス、と、カフェ。それは、やさしく心を満たしてくれる小さなしあわせの種。ふたりが真心を込めて撒いたその種は、まだまだこれから、たくさんの人の元で花開いていくのでしょう。
◾️ yuè(ユエ)
住所:東京都杉並区西荻北5-26-17
TEL:03-6319-5873
営業時間:11:30〜18:00
定休日:月・火曜
HP:https://www.instagram.com/yue10_
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取材・写真・文 RIN